結納

 みんな読まなさそうな時間にコソーリ書いておこう!我が妹が今年結婚するということで、本日は結納の儀式を執り行ってきたのである。まあ式自体は略式であったので30分もかからず、その後は1時間半ほど両家で会食と、およそ2時間ほどのことではあったのだが、喜ばしさの中にもなかなか複雑な気持ちがあったりもします。妹は私が小学2年のときに生まれて、親の話では生後しばらくののちに母と退院するとき、私はせがんで妹を病室から車に乗るまでだっこして出ると言って聞かず、ちゃっかりさせてもらったらしく、もちろん私にもその記憶はおぼろげながら残っております。以来私の中では、妹は自分が育てているんだくらいの気持ちで接してきて、大きくなってからも保育園の送り迎えや小学校の勉強を教えることは、私が自ら買って出てやっていました。もちろん子供心にそう思っていただけで、背後には両親がちゃんと私を含めて面倒を見てくれていたから、私も得意げにこなせていた、というのが本当です。
 8歳も離れていると、年の近い兄弟がけんかしながら育つという感覚はなく、また女の子ですので大事に接しなければならない、と自分に言い聞かせ、兄と妹の関係がありつつも、その中にも自分は保護者というか、育てる側に立って接して来たように思います。そんな妹が結納を交わす、そして数ヵ月後には結婚する、そういう状況を目の当たりにしてみると、どしっと重く実感としてのしかかってきたのが今日の感想なのです。嫁として嫁いでしまうと、実家に帰ってもいつものように出迎えてくれなくなる、自分と違う姓を名乗って他家の人間となってしまう、色々考えていると悲しくなってしょうがありません。思わず嫁にやらんとこかと一瞬思いましたが、これが妹の幸せだろうと思うと、今度は祝福せずにはいられません。気持ちは複雑ではあるのですが、こうした思いを感じられるということには、兄妹として、家族として、人並みのことではあるのでしょうが、この上なく幸福なことだろうと思います。幸い相手の方は好青年で、あくまで内面だと思いますが妹いわく私に似ていると母に言っているそうですので、これまた泣かされてしまいます、そしてまあそれなら送り出しても安心かな?と思えたりもしています。
 そんなわけで我が家としては複雑な気持ちながらも、大きな儀式を終えて色々と思う所があったりしたわけでした。ともかくもおめでとう、妹よ。日が変わりましたが父の日でもありました。亡父が生前味わえなかった思いの一端でも味あわせもらえたことが幸せであるとともに、向こうの世界があるのならば、父も私と同じか、いやきっとそれ以上の気持ちで今日という日を味わってくれているだろう、そうであれば嬉しいなと、心から願わずにはいられません。